現象としての「青」を描く。 画家・吉田孝之さん
- mitakaacs
- 2015年10月11日
- 読了時間: 9分
インタビュー Vol.6
吉田孝之さん (画家)
三鷹市上連雀 在住
7月中旬、展覧会の案内状が届いた。三鷹市に住む画家、吉田孝之さんからだった。
会場である荻窪のギャラリーに足を運び、吉田さんの作品を初めて見た。ある一定の幅とリズムをもった青色のタッチが、重なりほぐれながら紙の上に置かれた水彩画だ。そこに現われたイメージは木立。ひんやりと冷たく湿った空気が滲み出ているような風景だった。
展示を見終えたその足で上連雀にある吉田さんのアトリエに伺い、お話を聞いた。
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展示したのは、「国分寺崖線(がいせん)」という崖地を描いたもので(写真1)、三鷹市大沢の野川沿いにある野川公園内で見られる景色です。野川が流れ、北側に平らな土地があって、そこから十数メートルくらいの高さの崖地になっているのが国分寺崖線。上の台地は武蔵野面です。
当初は平地に木が生えている場所を描いていたのですが、あまりうまくいかず、ある日、崖線の木立に目を向けると、不思議な奥深さを感じました。それが、このモチーフを描き始めたきっかけです。

写真1 「Blue Forest(Cliff Line 266)」 水彩/紙, F6, 2015
先ほど作品を見て、青一色で描かれているのが印象に残りました。青は、吉田さんにとって特別な意味をもつ色なのでしょうか。
世の中にはさまざまな色がありますが、青はその中で特殊な存在です。それは色彩というよりも、もはやそれ自体が「現象」なのではないかと思うほどです。
自分の中でまだ整理できていないのですが、水や空気、あるいはエネルギーというか、そのような生命に欠かせない存在は、青い色をしていますよね。それは色彩ではない何かなのではないでしょうか。ただし、目の前にあっても見えませんが。
実際にはない色だけれど、現象としては存在する色ということですか?
そうですね。例えば、夕暮れどきに現れる「ブルー・モーメント」も、色彩というよりは現象に近い。私は科学的な説明はできませんけれど。
私は青い絵の具を使いますが、昔の表現であれば、それは「墨」だと思うのです。ご存知のように日本画や水墨画では、景色でも人物でも墨で表わしますよね。日本人は、色彩ではなくて、ものごとを現象的に捉え、使うのは墨なわけです。私の近年の仕事は、墨の代わりとしての青なのかなと思っています。

「Blue moment」 アクリル/キャンバス, F3, 2015
描いている場所は大沢の国分寺崖線であり、お住まいもここですね。三鷹やその地域周辺の魅力は何だと思いますか?
三鷹は水に関係が深い場所だと思います。野川もそうですし、国分寺崖線はいわゆるハケで、低地側は湧水があります。玉川上水も流れ、そのほか、井の頭公園も水が湧き出ていますよね。三鷹ではありませんが、深大寺は裏手に水神があって祠が建っている。あそこも水が湧き出ています。この地域は水に近しいという印象が強いですね。
そう言われてみれば、三鷹は本当に水がよく湧き出ていますね。
東京は元々水路が多く、江戸時代ごろまでは水が多い街だったそうです。三鷹も、駅前通りのいまマクドナルドがある場所付近には以前、東西に川が流れていたとのこと。
私は、野川公園のほか、井の頭公園や神代植物公園などでも風景画を描きました。水に縁のある場所が多いです。ただし、水自体は描きませんが。
水が湧き出る場所としての三鷹と、作品の青。このつながりがイメージとして広がります。
水彩画を描きに行き、水入れに水を入れて持っていくのを忘れてしまうことがたまにあるのですが、野川の岸に崖線の湧き水が出ているので、それを汲んで使って描くことがありますよ(笑)。
撮影:吉田孝之さん 場所:野川公園内
場所が絵を生むということがあると思うのです。昔の画家は移動し、旅行しながら制作を続けた。私自身は同じ地域で描いているので全然ダメだと思っているのですけれど。一つ所に留まっていては、仕事が進まないこともあります。同じ場所であっても、2、3歩動くだけで違うものが見えてきたりするので、やはり動かなければいけないと思います。場所やポイントで作品のテーマやモチーフ、出来も変わる。土地というのはとても大事だと思います。
作品は場所の影響を受ける?
ええ。たぶんこういう絵にしても(写真2)、三鷹のこの場所で描くからこうなるのだと思います。これがどこかの島で描いたら、こうはならない。

写真2「Atmosphere 1」 油彩/キャンバス, F8, 2015
ただし、空間的に移動するだけとは限りません。例えばモランディのように何十年も同じボローニャのアトリエで静物を描くという制作もある。たぶん彼なりに、モチーフを組み替えたりして、旅のような変化を起こさせていたと思うんですよ。自分は動いてないけれど、モチーフの配置をいろいろと変える。それが旅みたいなことになっている。晩年の熊谷守一も同様。なかなか真似できることではありませんけれど。作家は二種類いるのかなと思います。時間的、空間的に動いて変える人と、目の前のモチーフだけで変える人。セザンヌは両方できた人です。
以前、磐梯山を描きに出かけました。しかし、行ってすぐ描けるかというと描けないんですよ。山を前にして風や日の光、湿気、そして色彩を感じます。さてそれで絵を描こうと思っても、あまり筆が動かない。一日二日じゃダメだという感じです。最低でも一週間くらいいないと制作には入っていけない。
国分寺崖線の制作もしばらく佇んで、つかまえてからですね。
そうです。2010年から続けている仕事ですが、ポイントを決めてもすぐには描けません。モチーフを定着させるには現場でも、仕事全体としても時間がかかります(写真3)。

写真3-a「Blue Forest(Cliff Line 231)」水彩/紙, F6, 2015

写真3-b「Blue Forest(Cliff Line 261)」水彩/紙, F6, 2015
創作活動を始めたきっかけは?
また、吉田さんにとって創作活動とはなんですか。
これは絵を描く多くの人がそうかもしれませんが、子どものころ、気がついたときには紙になにかを描いていました。特に新聞の折込広告の裏に。そして私の場合、自宅の前に絵画教室があったのです。毎週日曜日の朝にそこへ行って、必ず1枚水彩画を描いていました。先生はいつも自由に描かせてくれました。その後中学時代に石膏デッサンを習い始め、高校時代はいわき市民ギャラリーというグループの講座などに通いました。その流れで美大に入ったのですが、意識的に「創作活動を始めた」といえるのは、実は三十代前半ごろからかもしれません。十代後半から二十代にかけては、絵を描きながら、同時に音楽に入れ込んでいたので。シンセサイザーとコンピューターを使った音楽の作曲です。
三十代になって、神代植物公園で油彩画の制作を始めました。その当時はまだ木や草が鬱蒼と茂る場所があり、朝見る光景は深遠でとても美しかったのです。いま見ると、そのころ描いた絵はまったくかたちになっていませんが。後期印象派をかなり意識していましたね。この仕事をずっと続けようと思っていました。
私にとっての創作活動とは、こう言うと大げさですが、絵画の歴史という大樹の枝先になんとかして一枚の葉を付けることです。最近では「文脈」と言うようですね。年々「描かずにはいられない」心境になっています。ただし、以前のように印象派を目指すことはありません。いま自分にできることをやっています。いろいろと考えながら。最近、松田松雄さんという画家の本を読んでいるのですが、この人は「私は今でも、画家になるための勉強とは、ただ日常的に自分自身と直面することに耐えられる、ごくあたりまえの精神をもつことだと思っている」と書いています。本当にこの言葉のとおりです。
創作活動とはなんでしょうね。
食料を獲ってきて、食べて、排泄して、寝る。それ以外の余計なことを始めなければ生きていけなくなったのが人間ですよね。生存に必要な活動以外のことをなにかしらやっている。絵を描くことは、そのうちの一つです。経済活動や科学技術などの行為と変わらないのじゃないかと思っています。
生存とは関係ないのに、根源的にやってしまうことの一つ、と。
言葉とは違うけれど、言葉みたいに出てきたものだと思うのです。’80年代に言われてましたね、人間が初源の時代、海を見たらつい「う」と口からついて出た、空を見たら「そ」と言ってしまった。それが言葉になった、と。それと同じように、動物や夕焼け、星などを見たら、つい手を動かしてしまったというのが絵で、創作活動はその延長なのではないでしょうか。太古の昔に洞窟の壁に描いたのも、何気なく描き始めた。何かを伝えるというよりも先に、思わず描いてしまった。とはいえ、「美しい」を感じた、あるいは分かった瞬間があったとは思います。
作品をどのように見てもらいたいですか?
見る人には、例えるなら「読んでもらいたい」という気持ちですね。基本的には感じてほしいのですが、もう少し具体的に言うと、読んでいただけたらうれしいです。文字や記号を読むのとは意味が異なりますが。
絵を読む?
文学などの文字と同様、絵画の場合タッチが大切です。何をどのような筆致で描いているか。タッチは読むためのものというか、“あいうえお”なんですよね。絵を描く人は、自分が感じたなにかしらのインプットを変換して、アウトプットしています。人が絵を見るというのは、アウトプットであるタッチを目で追って、なにかを読み取っているのだと思います。タッチの一つひとつが言語のように伝わる。とはいえ、私の絵はまだまだ力不足でなかなか読んではもらえませんけれど。

「Atmosphere 1」(部分) 油彩/キャンバス, F8, 2015
そのほか、絵を理解するためのヒントやアドバイスはありますか?
色彩やタッチ、構図以前の要素として、なぜ油絵なのか、あるいはアクリルなのか、なぜこのサイズなのか、小口はどう処理しているのか、なぜ額を付けないのか、なぜこのモチーフなのかなど、ごく素朴な目で見るのがいいのではないでしょうか。つまり、画家がなにを選択したか、です。描くほうは、難解なものを表そうと考えているわけではなく、多くの絵は複雑な方向よりも、単純化に向かって描かれている。1枚の絵からなにか一つを得られれば十分だと思います。もちろん、展示会場に画家がいるならば遠慮なく聞く。
また、その画家が以前はどのような絵を描いていたかを知ることも大切です。絵を描く作業には、気の遠くなるような時間が必要です。今に至る仕事の連なり、プロセスを知ることは絵を理解する助けになるでしょう。
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吉田さんの水彩画は、地のままの白い部分があるのが特徴だ。彼は「画面に残された白は余白ではなく、いまだ描けない部分」と語った。制作の実際を聞くにつれ、絵画に関する非常に基本的な感じ方や捉え方が見えてくる。
子どものころからずっと描き続けてきた、いつも近くにあった「絵」というもの。手の感触、目の感触、脳や耳の感触として、触り、確かめながら「絵という何か」に向き合い続ける吉田さんが国分寺崖線に佇む姿が目に浮かぶようなお話だった。

吉田孝之さん (画家)
三鷹市上連雀 在住
インタビュー
2015年8月30日(日曜日)
聞き手、テキスト:越川さくら
作家撮影:沼田直由
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吉田孝之さんの個展が福島県いわき市で開催されます。
吉田孝之 絵画展 — 青の風景 —
会場:湯ノ岳 Gris du chat内特設ギャラリー(福島県いわき市常磐藤原町湯ノ岳2-1)
期間:2015年10月17日(土)〜11月22日(日) 11:00-18:00 *水曜定休
詳細はホームページ http://takayukiyoshida.com/index.html